清涼院の境内で大切に育てていた白蓮華が、7月の終わりに美しい花を咲かせました。
【再挑戦と開花までの道のり】
実は5年ほど前にも蓮を育て、朱の入った花を咲かせたことがありました。しかし、冬を越すことができず、蓮をダメにしてしまった苦い経験があります。
それから数年はうまくいかず諦めかけていましたが、昨年「もう一度挑戦しよう」と決意し、白蓮華の苗を新たに迎えました。
冬の間は枯らしてしまわないかと試行錯誤の連続でしたが、春になり、土の中から蓮の葉が顔を出したときの喜びはひとしおでした。

葉が出た後も、今度は蕾がつくかどうかが心配で、毎日ソワソワしながら蓮鉢を眺める日々。その願いが通じたのか、7月7日の七夕の日、小さな蕾を一つ見つけました。
日ごとに力強く成長する蕾に生命力の不思議さを感じながら、風の強い日には「どうか折れないでくれ」と祈るような気持ちで見守り続け、7月25日、ついに清らかな白蓮華が開花しました。
【白蓮華と仏様の教え】
この白蓮華は、仏教の教えと深い関わりがあります。
私たちが日々お唱えするお題目「南無妙法蓮華経」は、元のサンスクリット語で「ナモ サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言います。この中の「プンダリーカ」が「白蓮華」を意味する言葉です。
つまり「妙法蓮華経」とは、「白蓮華のように清らかで最も尊い教え」という、素晴らしい意味が込められているのです。
また、蓮の花は汚れた泥の中から生まれ、それに染まることなく美しい花を咲かせます。その姿は、迷いや苦しみを抱える私たち凡夫が、信心によって仏道を成就する(仏様になる)様子そのものであるとされ、仏教では古くから尊ばれてきました。
【白蓮華が教えてくれたこと】
蓮を育ててみて実感したのは、その尊さとともに、その儚さです。必ず咲くとは限らず、咲いてもわずか数日で散ってしまいます。
日蓮大聖人は、末法の世に生きる私たちの心にも、仏様の清らかな境界が本来備わっていると教えてくださっています。しかし、私たちは日々の生活の中で、その尊さを実感することがなかなかできません。
だからこそ、蓮の成長を日々見守るように、私たちも日々の信心修行をこつこつと積み重ねていくことが大切なのではないでしょうか。
この白蓮華の開花は、私たちに「南無妙法蓮華経」の教えの尊さを改めて教えてくれたように感じます。


