6月御講法話 拝読御書『開目抄』

 今回は開目抄を拝読して、信仰者としての覚悟について述べていきます。
 『開目抄』は文永9年2月、大聖人が佐渡在島中にお認めになった重要御書です。大聖人は執筆の前年、文永8年9月の龍口法難後に佐渡流罪となります。流罪直後の佐渡での生活は、衣食住にも困る状況でありました。
 しかし、拝読御文には「日本に第一に富める者は日蓮なるべし」と仰せです。現実世界の常識から見ますと、とても裕福には見えませんが、大聖人は自分自身こそ法華経を身読した行者であるとの自覚を持たれ、だからこそ法華経に説かれるように自分自身が成仏することを確信されました。その功徳こそが、何よりの財なのだと仰せなのです。
 『開目抄』執筆の背景に思いを馳せますと、『御振舞御書』には、「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。」との御文がありまして、『開目抄』執筆の構想は文永8年11月、つまり佐渡流罪直後からお持ちであったのです。その理由は、「法華経という正しい教えを信じているのに、なぜ日蓮という僧侶は迫害に遭うのであろうか」との世間の評価と弟子・檀越の不安を払拭するためでした。
 その答えとして大聖人は法華経に説かれる「仏滅後、特に末法の世に正しい教えである法華経を弘めようとするならば強敵が現れ必ず迫害が起きる」との教えを根拠に、私日蓮が受けた迫害とは世間の目から見れば悪いことかもしれないが、法華経を正しく行じている証拠なのだ、と解釈したのでした。
 現実世界の貧富も大切ですが、何より重んじなければならないのは精神的な安穏です。どれだけ財産を持っていても、人間の欲は尽きませんし、財産を持っているからこそ不安を増長することも少なくありません。大聖人が教えてくださる一番の富とは、現実世界の財産や身分ではなく、法華経を信じて成仏をかなえることであり、その成仏を実現したのが大聖人自身であったのです。
 法華経の方便品に開・示・悟・入という教えが説かれています。この教えは、仏様が出現する理由を端的に説かれたところです。仏様は私たち衆生に「仏知見(仏の眼)を開き、示し、悟らせ、入らせる」事を目的として現れるのだと説かれました。
 大聖人は、龍口法難・佐渡流罪という法難から、凡夫の眼から仏様の眼を開かれて『開目抄』を認められました。だからこそ私たちは、末法の仏様としての覚悟で衆生を救う大聖人を仏様と拝し南無妙法蓮華経とお題目を唱えるのです。
 私たちが住む娑婆世界は、苦しみや悩みばかりが目に付く世界でありますが、法華経には「仏様の眼から見ると娑婆世界も常寂光土である」と説かれています。本当に常寂光土か疑いたくなるような出来事ばかりの昨今ですが、大聖人の教えを信じて信心修行に励み、仏知見を得られるように努めて参りましょう。


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