本日は、盂蘭盆会法要に際しまして皆様とともに読経唱題いたしました。また、本年は戦争終結から80年という節目の年でもあり、戦没者の追善回向も合わせていたしました。
【盂蘭盆法要の起源】
盂蘭盆会では全国的に仏教徒のみならず、お墓参りや寺院参詣など、先祖や有縁の方への供養を行います。その起源として、有名な盂蘭盆経という経典がありますので、皆様ご存知かと思いますが、少々解説いたします。
【盂蘭盆経のあらすじ】
盂蘭盆経は釈尊の弟子、目連尊者(以下、目連)が主人公です。目連は神通力が優れた方で、その優れた神通力うをもって、亡くなった母・青提女が、死後どのように過ごしているかを見てみます。
すると、青提女は、慳貪の科によって餓鬼界で痩せ細った姿で苦しんでる様子が見えました。目連は母を助けるために食物や飲み物を送りますが、火となり油となりかえって青提女を苦しめてしまいました。困った目連は、青提女を救うためにどうすればよいか、師匠である釈尊に訪ねます。釈尊は、「夏安居という修行を終える7月15日に僧侶に供養しなさい。その功徳で母を救うことができるでしょう」と指導されました。目連は、釈尊の指示通りにして青提女は救われました。
盂蘭盆経にはこのように説かれていまして、先祖供養の大切さを伝えています。
【『盂蘭盆御書』にみえる大聖人の盂蘭盆経の解釈】
次に、大聖人の『盂蘭盆御書』には、大聖人が盂蘭盆経をどのように解釈し、私たちの追善回向とは何かをわかりやすく仰せですので見てみましょう。
『盂蘭盆御書』には「詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや他人をや。」と仰せです。つまり、大聖人は目連尊者が青提女を救えなかったのは、自分自身が成仏を果たしていないからだ、と解釈しているのです。
その後の御文には「しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて「正直捨方便」とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。」と仰せです。
この御文を少し解説しますと、目連尊者は非常に優れた修行者でしたが、自分が悟ることに執着して一切衆生を救う修行をおろそかにしていました。また、出家者や優れた修行者のみが成仏出来るというエリート主義のような考えを持っていたともいわれています。それ故に、目連尊者は永不成仏(永久に仏に成ることができない)と言われていました。
ですが、目連は「愚かな者であっても悪人であっても、一切衆生は全て成仏することができる」と説いた法華経の教えを信じます。その信じた証として南無妙法蓮華経とお題目を唱えました。この時に目連は初めて成仏することが許されて、未来には多摩羅跋栴檀香仏という名前の仏様になる、との記別(成仏の保証)を受けます。その時に、目連と青提女の親子は成仏を果たすことが出来た、というのがこの御文の意味するところです。
【追善回向とは】
目連と青提女の成仏の姿、これこそが私たちが出来る一番の追善回向ではないでしょうか。私たちが苦しみや悲しみの多いこの娑婆世界において、自他の成仏を願って南無妙法蓮華経と唱えて人生を歩んでいくことこそが、亡くなられた方が望んでいることだと思うのです。
どうか皆様には、お盆やお彼岸、回忌法要を重んじながらも、日々の信心修行に励み自他の成仏を願ってお過ごしいただきたいと思います。

