
『観心本尊抄』に学ぶ「信じる」ということ
『観心本尊抄』(正式名称:如来滅後五五百歳始観心本尊抄)は、日蓮大聖人が末法のために初めて曼荼羅御本尊を図顕された意義を、問答形式で詳しく説かれた御書です。
今回は、この御書に示される二つの「難信難解(信じ難く、理解し難いこと)」に注目し、「信じる」とはどういうことかをお話しいたします。
まず、拝読しますと御文には「教門の難信難解」と「観門の難信難解」があることが示されています。
◎教門の難信難解
一つ目の「教門の難信難解」とは、法華経とそれ以前の経典(爾前経)とで、内容が異なっていることへの疑念です。
例えば、爾前経では成仏できないとされていた二乗(声聞・縁覚)や一闡提(善根を断たれた者)が、法華経では成仏を許されました。また、釈尊はインドで初めて成仏したと説かれていたのが、法華経の寿量品では「然るに我は実に成仏してより已来、久遠なること若斯(かくのごとし)」と、はるか昔(久遠)に成仏していたことが明かされます。
爾前経と法華経、どちらを信じれば良いのか。仏様は嘘をつかないはずなのに…。このように、どの教えが真実なのか迷い、信じられなくなってしまうのが「教門の難信難解」です。
これについては、大聖人が一貫して法華経こそが末法の衆生を救う教えであると、あらゆる御書に記されていますので、ここでは詳述を省きます。
◎観門の難信難解
『観心本尊抄』で特に重要なのは、二つ目の「観門の難信難解」です。
これは、「果たして私たちのような未熟な凡夫に、尊い菩薩や、ましてや仏様のような素晴らしい境界が本当に備わっているのだろうか」という、自分自身に向けられた疑いのことです。
この疑問について大聖人は「此の難最も甚だし、最も甚だし」と仰せられ、これが容易に信じられるものではないことを認められています。
この最大の難問に対し、大聖人はまず法華経方便品の経文を挙げられます。
方便品には、仏がこの世に出現される理由は、衆生の心に具わる仏の知見を「開かせ、示し、悟らせ、入らせる(開示悟入)」ためであり、「唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう」と説かれています。
つまり、私たちに本来備わっている仏の眼を開かせるために、仏様は出現されるのです。これは、私たちに仏の境界が備わっている何よりの証文です。
しかし、この経文を知ってもなお、問いかける人は凡夫に仏界が備わっていることを信じられずに苦悩し、ついには「どうか信じさせてください」と大聖人に懇願します。
その懇願に対して、大聖人は次のように仰せです。
「汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して、之を信ぜざれば、釈尊より已下の四依の菩薩、並びに末代理即の我等、如何が汝が不信を救護せんや。然りと雖も試みに之を言わん」
(あなた自身が仏が説く経文を見聞きしても信じられないのなら、仏滅後に衆生の依りどころとなる四依の菩薩たちや、末法時代の理即但妄の私たちが、どうしてあなたの不信を救い護ることなどできようか。しかし、それでも試みに説いてみよう)
この御文を拝読するたび、私は「経文という絶対の証拠を信じられない人を、一体どうすれば救えるのか」という、大聖人の深いお心を感じずにはいられません。ここが、単なる哲学から、生きた「信仰」への転換点であるように思うのです。
「誰でも成仏できる」「煩悩を持ったままでも成仏できる」という法華経の教えも、それが綺麗事や机上の空論で終わってしまっては、私たちの救いにはなりません。濁悪の世を生きる私たちが本当に成仏できるのか、というこの問いに答えを示されたのが『観心本尊抄』です。
その答えの核心が、次の御文にあると私は考えます。
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」
(釈尊が積まれた修行(因)と、その結果得られた徳(果)の二つは、すべて妙法蓮華経の五字に収まっている。私たちがこの五字を受持する時、その功徳を自然と譲り受けることができるのである)
私たち凡夫は、何もしないで成仏できるわけではありません。
「南無妙法蓮華経」と唱え、受持する。この唯一の修行こそが、「観門の難信難解」を乗り越えるために、大聖人が私たちに遺してくださった道なのです。
◎自分の身に宛てる
翻って自身を省みると、物事がうまくいっている時は感謝を忘れ傲慢になり、逆に何もかもうまくいかないと自己嫌悪に陥ります。世間に目を向ければ、目を覆いたくなるような事件も後を絶ちません。
そんな時、「誰にでも仏の可能性がある」という教えを、私自身「本当だろうか」と疑ってしまうこともあります。しかし、だからこそ法華経の教えと大聖人のお言葉を「信じる」ことから始め、信心に励むしかないのだと思います。
『観心本尊抄』を拝読するたびに、その難しさを痛感します。まだまだ未熟な私ですが、皆様と共に信心修行に励んで参りたいと存じます。

